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『メメント・モリ』 藤原新也

メメント・モリ―死を想えメメント・モリ―死を想え
(2008/10)
藤原 新也

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藤原新也さんの『メメント・モリ』の21世紀エディションを買いました。
新たに写真22点、コピー21点が加わり、出版社も以前と変わっています。

この作品については、私ごときが駄文であれこれ感想を書くのもおこがましい。
ご本人のブログ記事「君、生き急ぐことなかれ、死にたもうことなかれ」をお読みいただくのが一番だと思います。

今日、特に深く、心に飛び込んできた言葉。
「死のとき、
闇にさまようか
光に満ちるか
心がそれを選びとる。」

2008年11月03日 | Comments(13) | 小説以外の本
コメント
No title
すごい裏話。
わたしも20代の時、手にして
横尾忠則とともに
藤原新也の虜になった。

いま本棚からメメントモリを探そうとして、
あきらめた。本棚に本が二重どころか
三重になっている部分もあり
あきらめた。


リンクのブログを読んだ。
一番下の
写真とシルバーの文字。
まさに「俺じゃんか」という恐い言葉の羅列。
ぜろ URL 2008年11月03日 20:31:24 編集
No title
>ぜろさん

いつかきっと、本棚の奥から旧版メメント・モリが発掘されることでしょう(^-^)

藤原さんがブログ記事にアップされたページの言葉にはRadiohead的なものを勝手に感じてしまいました。徹底的にネガティブを吐き出すことで、逆に生きる力を得るというか。写真の、風雨にさらされた石仏の顔もすごい…!
skysong URL 2008年11月03日 22:00:33 編集
No title
まだ見ていないので何とも言えませんが、改訂そのものにはちょっと疑問も感じます。
自分と比べるのはおこがましいですが、過去の作品をいじるのは、私の禁止事項なんです。
ここはこうした方が良かったのにと思っても、その時の自分をとりつくろうのは、
あるいは変えてしまうのはなんだかちょっと・・・。
改訂版メメントモリ、そのあたりはskysongさんから見てどうですか?
papersnow URL 2008年11月04日 00:02:32 編集
No title
死んだからどうなるか
ある人と話していた、ぼくは紋切り型に
「死ぬと寝ているときの“夢”の状態が続く。無意識と意識の狭間を言ったり来たり」だと想う、、

ゆうと
相手は
「甘いね、山崎君、死んだらスイッチオフだよ、電源を切ったパソコンだよ、冷蔵庫。そんな魂とか、、、、甘いね、山崎君」と
いわれて。
なるほど、と想った。
スイッチオフ!
そうかもしれない。
でも
何千年も前から
この討議はされてて
チベット死者の書とかにも書いてあって

でも本当のことはわからないよね。
よく昏睡状態の人が意識を取り戻して「三途の川の手前で、引き戻された」とか言うけど
それに確証はない。
霊感の強い人に診て貰ったり
いろいろしたけど
ぼくは
第二次世界大戦でユダヤの人を癒していて、その毒にやられた死んだとかいわれたけど。
素直に、にわかに、信じがたい。
芸術も音楽も死の産物。死への憧憬、あるいは恐れ。恋。言い訳。美化。気休め。あなどり。まやかし。でも真実も混じっている。たまに。
ぜろ URL 2008年11月04日 00:34:11 編集
No title
>papersnowさん
なるほどー。
「過去の作品をいじるのは、私の禁止事項なんです」というpapersnowさんの凛とした姿勢、素敵です。

でも、一点モノの絵画と、複製(出版・印刷)され流通する媒体ではいくらか事情が違うのではないでしょうか。
絵画は、手を加えてしまったら、いちど「完成品」として筆を止めたはずの作品はなくなり、別のものになってしまうし、手を入れることを自分に許してしまうと、いつまでたっても完成しないことにもなりかねないけれど。
書籍は改訂しても改訂前のものも世に残るので、過去の作品も失われない。その分読み手の比較・審判の目にさらされるリスクも背負うわけですが。(そうは言っても、やはり小説などは安易には書きかえて欲しくないですね。)

音楽の世界では過去の曲を同じアーテイストがセルフ・カバーするとか、過去のアルバムにボーナストラックを付けて再発するとか、クラシックでも同じ指揮者や奏者が再演を録音することがありますよね。
レコード会社がお金儲けのためにボートラ付リイシューを乱発するとうんざりしてしまいますが、アーティスト自らが何らかの考えをもって手を加えて再発するのは、その考えに共感できれば、そして手を加えた結果がプラスになっていると思えればアリだと思います。『メメント・モリ』は、音楽ではないけれど、「唄」に近い感覚もあり、私はすんなり受け入れられました。

なんといっても、写真と言葉をいくつか付け足すことを決めたいきさつ(藤原さんのブログ記事)に心打たれたというのが大きいかな。

>ぜろさん
「死んだらどうなるか」、分かりませんね。私には、「幽霊がいるか」や「神は存在するか」という問いと同じで、その実体を今のところ科学的に明らかにできない以上、それぞれの人が信じたいと思う内容が、その人にとっての真実なんだと考えています。

私のイメージとしては、亡くなり方にもよるでしょうが、眠りに入る時のように、意識と無意識を行ったりきたりする状態を経て、最後はスイッチ・オフかな。

前世や来世については、どうも信じる気になれません。何回も生きなきゃならないの?と考えると、どっと疲れが(笑)。実際どうなのかはさておき、一回きりだからなるべく頑張ろ!という方が潔くて気持ちよいです。

 >芸術も音楽も死の産物
この夏、キラキラした、(自分にとっての)夏らしい曲を集めたプレイリストを作ったのですが、結構な割合で、歌詞に「死」という言葉が使われている曲が含まれたことが自分にとって興味深かったのです。まばゆい光が照りつける季節だからこそ、影も濃くなり、死への意識も深まる…。そんな風に思ったのですが、J-Popの夏ソングにそういうのは少なそうですよね(笑)。音楽も、美術も、「メメント・モリ」精神が見え隠れするものにどうしても惹かれます。

skysong URL 2008年11月04日 22:51:17 編集
No title
もう出てたんですね。
21世紀版はずいぶん追加されているようで、一度手に取ってみたいです。

藤原氏の優先順位はきっと、旅>写真>エッセー>・・・>絵・・・ だと思いますが、デッドビーズのジャケのような絵がほんとは沢山見たいんですよね。
kaku-san URL 2008年11月07日 18:00:35 編集
No title
本棚を探してみました。ありゃ、旧版が2冊でてきました。つれあいも持ってたようです。この本と『印度放浪』がなければ、学生時代に3回もインドに行くことはなかったです。僕にとっても、とても重要な本でした。

ところで「過去の作品をいじる」ことの是非という話は興味深いですね。papersnowさんもskysongさんも、筋が通っていらっしゃると思います。
ただ、藤原さんのブログを読んで僕が強く感じたのは、氏は自分の力を過大評価し過ぎているのでは?ということでした。ちょっと水差すようで、ごめんなさい。21世紀エディション、手にとって確かめてみようと思います。
kensuke URL 2008年11月07日 20:33:35 編集
No title
>kaku-sanさん
追加されたページも良いですし、メタリックな表紙もカッコいいです。
ぜひ書店でご覧くださいね。

デッド・ビーズの絵、実物を見てみたいです。
どんな質感でどんな大きさなのか…。


>kensukeさん
さすが息のあったご夫婦、旧版『メメント・モリ』おそろいでしたか(^o^)。
インドに3回も行っていらっしゃるんですね!私は両親+祖父母という高齢編成(笑)で一度行ったきりなので無難な観光ルートしか回っていないのがちょっと残念です。おすすめの場所があったら今度教えてくださいませ。

 >氏は自分の力を過大評価し過ぎているのでは?ということでした。

かもしれませんね。ちょっと自己陶酔が感じられる文ではありました。私自身は、自分のやることなすことの細かーい部分にいちいち欠点を見つけてはウジウジしてしまうタイプなので、ああいう風に超自信満々でいられる人を見ると爽快で面白いぜっ!と思ってしまうんですが(笑)
skysong URL 2008年11月07日 21:45:11 編集
No title
しかし自己陶酔しないと、あんな文章書けないですよ。
ギリギリ。
ナルシズムです。
新聞に書く藤原さんと
ブログの藤原さんは質が違います。
書き分けています。
好き嫌い、という点では
「思いっきり傾倒できる」美意識ではないですが
というのが
素朴なんですね、斜に構えない、あるいみマトモ。

しかし「生きてゆくことしか残されない」の一文は
普遍的、最後にたどり着く「境地。」

死にたいとか、なぜ生きてるとか
その問いは柄谷だって内田樹だってレビナスだってニーチャだってデリタだって出せてないですよ。
思考することそのものが哲学である、というのは逃げの一手でしかない。
答えを出せ、保坂和志!

ただ言えるのは一般的
「倫理観」とか道徳をこそ疑うという
あいだみつをを気持ち悪いと思える
その鋭利で切実で絶望的で破滅的な
精神状態を、ちゃんと神に残すことを
現代美術のダレがしているでしょうか?
改訂版が嫌いというのは、「切実じゃない」というのと同義です。
自死しそうな人は、つねに一縷の望みを死にものぐるいで探索しています。
メメントモリで死んだ女子校正の気持ちは分かりすぎるほどわかります。、
だって不条理が選定ですよ。
「凛と」していられなくなったら僕は迷わず尊厳死、選びます。
ベックの詩だって、詞だって藤原さんに負けちゃいない。
ブレミッシュも。

アンディーウォーホルは「So Waht」で片づけましたがバスキアもポロックも
結局、。到達したい戸点には届かなかった。
ぜろ URL 2008年11月09日 23:48:03 編集
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
  2008年11月11日 00:15:26 編集
No title
>ぜろさん

アーティストには、鋭い批評眼もさることながら、自己陶酔できる部分も必要だと思います。

ところで、私は7日にはあのようなコメントレスをしたのですが、以後つらつらと考えていて、kensukeさんが「過大評価」とお書きになったのは、氏が「自分の作品が人の生死に影響を与えうる」と考えていらっしゃるように読める部分だったのかもしれない、と思い至りました。あるいは、またそれもkensukeさんの真意とはズレているかもしれませんけれど。

 >死にたいとか、なぜ生きてるとか

その問いへの答えは、哲学者に出してもらうものではなくて、ごく普通の、身近な人々の生死の現実から少しずつヒントを得ていくもののような気もします。

あと、ポロックには、若くしてひとつの頂点に到達してしまったがゆえに、その後の展開に苦悩してしまったという印象を持っています。

…すみません、まだ色々と書きたいことがあるのですが、どうしようもなく眠くなってしまったので寝ます!おやすみなさーい。Zzzzzz....
skysong URL 2008年11月11日 00:25:01 編集
No title
>その問いへの答えは、哲学者に出してもらうものではなくて、ごく普通の、身近な人々の生死の現実から少しずつヒントを得ていくもののような気もします。

姉が(skysongさんはご存知かと思いますが)哲学科を卒業していて、よく、「生きているってことは
それだけで宗教的なことなのよ。」と言います。
今までわかったようなわからないような感じでしたが、skysongさんの言葉でお腹の中にストンっと
下りたような気がします。
papersnow URL 2008年11月11日 12:33:51 編集
No title
>papersnowさん

そりゃあ、柄谷行人やニーチェを読んで目から鱗が落ちた!ってこともありますが。。。
身近な人の生きざま(死にざま)の方が、身近なだけに、否が応でもズシンと骨身に迫ってきますからね。。。

お姉様のお話、興味深いです☆
skysong URL 2008年11月11日 20:37:41 編集

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