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古川日出男「サウンドトラック」

しつこいようですが、2007年スタート予定です。
でも、フライング第2弾(笑)。

最近、古川日出男さんの作品をあれこれ読み倒していまして、昨日「サウンドトラック」を読み終えました。

これ、マンガですね。

マンガという媒体に失礼かもしれませんが、私が普段、小説をさして「これはマンガだね」とか「マンガ的だ」と言いたくなるのはネガティブな場合が多いです。マンガ的と呼びたくなる小説は、登場人物が不自然なほど美男美女ばっかりだったり、出来すぎなことばかり起きたり。そこに描かれる感動なども、登場人物たちのリアルな生き様の結果として生じた感動というよりも、あらかじめ読者を感動させるために登場人物が紙の上を動かされている印象が色濃かったりして。そういう小説を「マンガ的」と呼びたくなるのです。

でも、古川日出男の小説をマンガ的と呼ぶのは、それとはちょっと違う。作者のイマジネーションが、筆の暴走が、小説の枠に収まりきらないために生じてしまう極端なデフォルメ。極端な飛躍。その暴走のエネルギーが作為によらない、本物であることが伝わってくるから、絵ではなく言葉で描かれたマンガがあってもいいじゃないか、と私は受け入れることができたのでした。

ストーリーは相当はちゃめちゃで、最後にパズルのピースがぴたっとあるべき場所に納まるような、緻密に「まとまった」小説しか許容できない人にはお薦めできません。パズルの4周が、まっすぐな直線で閉じられるのではなくて、他のピースを必要とする凹凸のまま終了してしまったような読後感。

それでも読まずにいられないのは、古川作品の疾走感、激しいビート感に自分の感性の一部が覚醒させられるような感覚が、ある種の音楽がもたらす感覚に酷似しているから。彼の小説はアタマで読むというより、身体でビートを感じるべきものなのかもしれません。

ストーリーは;南の無人島にそれぞれ別の事情で偶然漂着した男女二人の幼児が野生児としてサバイバルした後、人間社会に「保護」される。兄妹として養育された二人はやがて別々の道を歩むが、それぞれ独自の破壊的能力を身につけていった。ヒートアイランド現象が加速し、気候の熱帯化、伝染病の蔓延、移民排斥問題などで疲弊する近未来(というよりデフォルメされた現在と言えるかも)の東京にやってきた二人と、少年と少女の両性を使い分けるアラビア系移民のレニ。この3人が、それぞれの動機から破壊行動をくりひろげる……。といった内容。

この3人の少年・少女たちの破壊のメソッドは、舞踏、無声映画など、アーティスティックでカッコいいのだけれども、破壊の動機そのものは実に直感的。当然、イデオロギーのかけらもありません。「なぜ、これを」「なんのために」と考えることなく、ひたすら疾走、ひたすら炸裂。

この直感的破壊行動の暴走を「まあ、マンガみたいな小説での出来事だから」と読み流すことの出来ない自分がいます。ここに描かれているのはデフォルメではなく、実はかなり正鵠を得た現状かもしれません。いみじくも「サウンドトラック」の次に読み始めた、スラヴォイ・ジジェクの「人権と国家」(集英社新書)に、このような記述がありました。
「(2005年のパリ暴動を評して)それは、我々のイデオロギー的・政治的な現状について多くを物語っている。選択の自由が保障されていると自画自賛している一方で、強引な民主主義的コンセンサス以外の選択肢としては、行き当たりばったりの暴動しかのこされていない社会に我々は生きているのだ」
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2006年11月28日 | Comments(0) | Trackback(0) | 小説
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